松浦 哲郎 様 (まつうら てつお)
AMARC(世界コミュニティラジオ放送連盟)東アジア代表理事
市民から発信するメディアの普及を目指す。2007年春に三条ラジオカフェを離れ、現在はAMARCの東アジア代表理事をつとめながら、新たなNGOの立ち上げに尽力中。
―――今なさっているお仕事について簡単に聞かせてください。今しているのは、大きく分けると3つありますね。
1つめは、この京都三条ラジオカフェという三条御幸町にあるコミュニティラジオ局で、小さい京都市内をエリアとして行っている放送の製作、企画です。
2つめが、関連するプロジェクトの企画、運営ですね。たとえば京都大学と共同で、ドラえもんの翻訳こんにゃくのようなものに発展する、言語グリットというものを作ろうというプロジェクトをやっています。ラジオカフェでは多言語での放送も行っているので、こういうツールができると便利になりますね。
3つめは、AMARC(世界コミュニティラジオ放送連盟)という、110カ国、3000以上の放送局が加盟しているNGOの東アジア地区の代表をやっています。ヨルダンで開かれた全国大会では、世界から94カ国350人くらいが集まり、各国のコミュニティラジオをめぐる現状を共有する他、失敗や成功例を紹介し、成功例を自国にどう取り入れられるかなどを話し合いました。いくつかの国が集まって1つのプロジェクトを共同でやろうという話し合いも行われました。
―――どうして今の仕事に就こうと思ったのですか。
2003年3月に三条ラジオカフェができて、僕は翌年4月のイベントに参加したことがきっかけでその翌月から働き出しました。ここは、日本で初めて市民のための放送局を目指そうとして始められた、ものすごく珍しい放送局だったわけですよ。
やっぱり日本の放送って言うのは営利事業。放送で情報を伝えて、広告でお金をもらうというのがひとつのビジネスモデルだったわけです。でもそうではなくて、それまで垣根が高くて参加できなかった市民が、自分たちの手で番組を放送しようということを掲げた放送局で。それが僕にとってはすごく魅力的でした。
その背景には、僕がドキュメンタリーを見て育ったというのがあります。将来的には自分も世界のいろいろなドキュメンタリーを作って流して、微力ながら、平和な世の中をつくることに貢献できればという夢を持っていました。
大学を卒業して、2年間カナダに映像の勉強しに行きました。帰国して東京のプロダクションに入り、番組の制作のADとして働き始めたんですが、幻滅しました。
ドキュメンタリーをつくる人はいいシーンを撮るためにずるがしこくないといけない。上手く泣かせた人ができるディレクターと言われる。なんか強引にむしりとっていくようなかんじがしたんですよ。ストーリーを決めて現場に押しかけ、「これも伝えるためですから。」と現場をコントロールする。それが嫌だったんです。もう少しいたら面白さがわかるとも言われましたが、そのときは僕も若かったので、
そんな面白さがわかったら人間終わりだと思いました。結局、もうそんなに知りたい世界ではないと思い半年でやめました。
その後、地元の金沢に戻り、もう一度カナダに渡って映像の仕事をする資金作りとして英会話学校で働いていたところ、2003年の夏に日本の研究グループがカナダの「市民メディア」の調査にでかける、という話を聞きました。それの記録係兼通訳についたことが今の職業につくきっかけになりました。
それまで市民からの発信などには興味がなかったのですが、トロントから近いダウンタウンにある最貧困地区で、メディアを使ってそのコミュニティの若者が自分たち地区の町のよいところや課題を自ら発信する、という取り組みをしていました。それは健全なコミュニティを作るためにメディアをつかうという試みで、それにすごく感動して、自分もそれをやっていくべきではないかと思いました。
日本社会が現在抱える課題を、今までのように映像に撮って大勢に見てもらう、というスタンスではなく、現場の人たちとともに、メディアを使って自ら発信したり、考えたりしながら、課題を乗り越え、健全なコミュニティをつくっていく。そんなふうに、
日本が問題なら、日本を出るのではなく日本でやってみるべきだ、と思いました。ちょうどそのとき京都三条ラジオカフェの存在を知り、イベントに参加して福井さんと知り合い、ここで働くようになったんです。
―――学生時代はどんなことをされていたのですか。結構病気がちだったんですよ。高校生の時に急性胃腸炎になった際に打った注射が原因で。それ以来急に体が弱くなり、大学生で一人暮らしをするようになるとさらに病状が悪化し、みんなみたいにサークル活動とかはあまりできませんでした。だからあまり学生時代は特に何をやったという思い出はないですね。
昔から留学はしたかったんだけどできなくて。ただ、ドキュメンタリーはずっとやりたいと思っていました。卒業することになって、もうだめならだめでいいから留学してしまえ、と思って思い切って留学しました。
―――現在の夢や野望はありますか。ラジオカフェで放送のハードルが下がったのは確かなので、それをもっと下げたいと思っています。もっと簡単にコミュニティラジオを作れるようにしたいです。日本の近所づきあいなどのコミュニティが崩壊していると言われているので、いろんな立場の人が集まれる場を作る。カフェだけではないけれど、みんなが集まって考えたり議論したりする場がもっと増えればいいなと思います。自分でたくさんはできないから、他の活動しているメンバーと一緒に協力していこうと思います。
それと、AMARCの活動を続けて、日本と世界の活動とをつなぐ。最終的には小さいラジオをやったり、メディアリテラシーの教育に力を入れて、視聴者としての見る目を鍛えていく。それで、マスのメディアにも働きかけていく。マスメディアの弊害もたくさん出ているし、マスメディアを少しでも変えていきたいと思います。
―――最後に学生へのメッセージをお願いします。2つありますね。
1つはあまりあせらないでということ。
もう1つは、最近は自分のやりたいことが何かわからないと悩んでいる人が多いですが、
とりあえず何かやってみてほしいということ。何かやってみて、こういうのが嫌だと気づけたらそれだけでも収穫だと思います。完全にやりたいことがやれる仕事なんてないから。転職なんかはあまり怖がることはないし、とりあえずやってみることが大事だと思う。そういうことをしているうちにやりたいこともやりたくないことも見えてきて、だんだん固まっていく。大学を出るときに固めなくてもいい。学生時代にはっきり見えているほうが珍しい。働いてみて違うって事もあるし。日本は寄り道とかをあまり許さない社会ですが、全然気にしないで頑張ってほしいです。
―――ありがとうございました。